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2519件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-01-31 第198回国会 衆議院 本会議 第3号

お父様は、厚生大臣内閣官房長官外務大臣、そして衆議院議長を務められた園田直先生であります。  河浦町は、天草の下島の南部に位置する、山に囲まれた自然豊かな地域であり、先生はそこで中学生まで伸び伸びと過ごされました。そのころから、新聞を毎日精読され、激動する世界情勢を自分なりに読み解き、理解されていたそうであります。  

渡海紀三朗

2009-04-10 第171回国会 衆議院 厚生労働委員会 第9号

八一年二月二十八日の当時の園田直大臣答弁では、難民条約を早期に批准するために間に合わないから、とりあえず経過措置を設けず条約批准を進めて、後に早急に整備するという旨の答弁がございました。つまり、当時の政府も、条約批准を急ぐけれども、この格差、差別というのは問題があるというふうに認識をしていて、是正しなくちゃいけない、そういうふうなお考えではなかったのかというふうに考えます。

郡和子

2005-02-25 第162回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

その場所から、当時の外務大臣園田直大臣、あるいは農林水産省は亀岡高夫農林大臣、官邸には佐藤信二長官がおられた等々で、もう一気に動いたんですね、一気に。  そして、六月に行ったときに、そのときに田中角さんは亀岡大臣に、百億用意せい、これから何年もできなくても全部補償する、国が補償するから百億用意せいと。

北村直人

2001-06-18 第151回国会 参議院 決算委員会 第4号

たしか塩川大臣福田政権ができたときの最初の官房長官、そのときの官房長官園田直先生。私は、昭和四十年から四十二年にかけて園田先生が副議長のときの秘書をやりました。そして、園田先生が御病気になられたときには本を書こうというようなことで、官房長官時代に苦労された話をいろいろ聞きまして、塩川大臣がおっしゃる話よりもっとひどい話を聞いております。  

平野貞夫

2000-11-16 第150回国会 参議院 国民福祉委員会 第4号

どんなことを言っているかというと、当時の園田直厚生大臣答弁でこう言っています。「予算の面において、あるいは制度の面において、不十分な点がございまするが、この点は将来必ずこれを改善する」と。三十年以上前ですよ。年額三十八万円の予算措置が大変少ない、これは何とかするというふうに厚生大臣答弁されているんです。  ところが、その三十八万円が三十数年たって五十二万四千円だと。

小池晃

1995-11-08 第134回国会 参議院 本会議 第9号

私は、かって一九七八年四月、これらの問題を明らかにして追及したとき、当時の園田直外務大臣は、「地位協定については、時代変遷世の中移り変わりにつれてこれはよく話し合わなきゃならぬ」と強調して、「地位協定の中の不平等な日本の生命、人権に関する問題等を逐次見直していかなきゃならぬ」と国会の場で公約されたのであります。

立木洋

1993-10-05 第128回国会 衆議院 予算委員会 第3号

なおまた、参議院から知事の方に転身したいというような御意見がございまして、当時、知事の四選問題等もございまして、自民党県連としては国会議員に後任は一任というようなことで、当時、園田直先生と私がその一任を受けまして、そして知事に就任いただいたわけでございますが、大変ユニークな新しい構想を打ち出され、私たちも期待をいたしておりました。が、突然おやめになるということで、実はびっくりしたわけでございます。

東家嘉幸

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

環境行政の汚点だ、こう言われておりますし、企業による許されない犯罪だ、こう言われながら、そしてあらゆる世論、マスコミが一日も早くこの水俣病問題については解決をしなければいけないということで、世界的にも注視をされながら、そして三木環境庁長官大石環境庁長官石原慎太郎環境庁長官、その以前には亡くなられた園田直厚生大臣北川環境庁長官、いろいろ水俣に行って現地調査をされまして、そのたびこの問題については

田中昭一

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号

もう時間がありませんから一つ一つ申し上げませんけれども、三木武夫環境庁長官石原慎太郎環境庁長官北川環境庁長官大石武一環境庁長官、その前は園田直厚生大臣、たくさんの大臣皆さんが来られまして、本当にこの問題、何とかしなければいけない、こういう気持ちで積極的な提言などもいただいております。大石武一先生などは、今、水俣病解決する水俣病全国実行委員会代表委員として頑張っておられるわけです。  

田中昭一

1991-03-13 第120回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

しかし、今水俣病問題というのは発生以来三十五年を経過して解決がつかずに、その間、例えば、もう亡くなられましたけれども、当時の園田直厚生大臣が来られ、あるいはその後も大石武一環境庁長官石原環境庁長官、近くは北川長官水俣に来られたわけですが、何とかしなければいけない、こういう態度を明らかにしながら、今まさに水俣病は紛争の状態にあるわけです。  

田中昭一

1991-03-12 第120回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

かつて水俣病が発生したとき、時の厚生大臣園田直先生が、何とかしなければいけない、こう言われた。その後も、例えば大石武一環境庁長官、あるいは石原環境庁長官、近くは北川環境庁長官など、たくさん来られました。大臣はいろいろ意見を聞いたりあるいは患者の実態を見ながら、何とかしなければいけない、こういうことを皆さん言われた。にもかかわらず、三十五年間未解決のままになっておる。

田中昭一